昭和41年03月16日 夜の御理解
今朝から朝のご祈念に、久富さんとこの長男の繁雄さんが参って来ておりますが、あ、繁雄さんじゃない。国雄さんが参って来られた。最近ある一つの願い事が、願うても右になり、いくら願うても左になり、もう九分九厘おかげになるかと思いよると、又それが外れていくと言った様な事が続いたもんですから、少しこの、もうクーとしてしまってから寝込まんばっかりに、この頃信心がぐらつきよった。所がその、今朝方から、お夢を頂いているんですね。
お夢の中に親先生が枕元においでてから「国雄さん、あの本当のおかげば頂くとじゃけん、上から下に水ば流すごたる訳には、いかんばい」と、仰った。びっくりしてしまった。私はその事を聞かせて頂いてから、もう、お父さんがここんところば解らしょうと思いよるけど、解らんとですもんね。ここに参ってくれれば私が言うて聞かせるけんいいちいいよるばって、私が言うて聞かせたっちゃわからん。
神様が言うて下さって初めてわかる。国雄さん、本当のおかげを頂くとじゃから、上から下に水が流れるごと訳にはいかんばい。それで、今朝方、目が覚めたち言う訳ですね。本当に、私はそれを頂いてから、ほうあんた、本当に有難いなあ。御理解九十節でしたかね。そういう教祖の御教えがあるんですが、今日はそれを開いてから、こういう御教えがあるよと私が開いて読んで聞かせたら。
自分も今日は大変に感激してから、今日は総会に出て来ておりましたけど「上から下に水を流すのは見易いが、下から上に流すのは難しい。道を開くというても、匹夫の凡人から開くのじやから、ものが難しゅうて暇がいる。神のおかげで開かせて頂かせて貰うのぞ。例え、一時は難しい事があっても辛抱してゆく間に、徳が受けられる。」ここんところが、私は、その本当のおかげと云う事じゃないか思うんですね。只、お夢を頂いたのは、いわゆる本当のおかげと云う事。
あんたが思うとる様なおかげなら何時でんよか。それは上より下に水を流すより見易いと神様は仰る。けれども本当のおかげ頂くとにや、上から下に水が流れるごと訳にはいかんばいち。確かにそうですよね。 お互いが信心させて頂いてから、本当のおかげを頂かにや。本当のおかげ。そこには辛抱がいる。その辛抱しておる内に徳が受けられると仰る。これが有難いですね。
今日は総会で御座いました。今日は現場であると云う事で御座いましたから、もうあの風の強いのに、天幕張って御座いましたけど、天幕じゃない、幕張って御座いましたけども、寒うして堪らん訳ですね。皆さん、集まっておりましたけれど、本当に午前中はガタガタ震えながら頂いたんですけど、本当にこれは何か、神様のご機関に適わぬ事があったんだと。お互いが緊張してから頂いて、お弁当でも頂いてから、さあお昼からさせて頂く頃になりましたら、風もとれました。
もう、それこそ私は椛目の何時もの場合でも、行事なんかは、もう最後までおかげを頂かなければ、ほんな事は解らんと思うんですね。ははぁ、あれはこういうご都合じゃったばいなあと云う事が最後までおって始めて分る。先程まで総代さんやら、福岡の秋永先生、高橋さんなんか、ほんなご祈念の今致します前まで、色々と検討されて、今から又あれから又、高山さん。総代さんです。
今日は来ておりませんでしたが、又あちらに行かれました。あちらも大変忙しゅうして、又丁度、行った頃まで又、一家中で御用頂かれておられたらしいんです。こちらが心配しておった様な事は全然なくて、大変喜ばれてから帰って来て、そして今から、今度、福岡の大森さんの所に。あちらの風呂が大変良いと云う事で、今晩見に来てくれと云う事で、高橋さん達又、今夜、風呂見に行っておられます。
見に行かれた訳なんですけどね。現場で今度客殿の方につく風呂の事の、それがあっておられます。もう本当に銭、金で出来る事ちゃないと思います。皆さんが一生懸命のああいう総会の中に現われている体験発表をなさった方達の話を聞いておりますとですたい。それを感ずるですね。只今も篠原さんや、宮崎さんの今日の総会のおかげを頂いてから、もう本当にこげなこっちゃいかん。こげなこっちゃいかんと思いよると。
今日の総会のおかげを頂いて、先日からお夢を頂いておった。それと稽古した。篠原さんなんか、本当に大変感激した。本当に惟からはと云う様な意気込みがでける。宮崎さんだって同じ事。本当に今日の総会で皆さん話を聞かせて頂きながら、元気が出ましたと。 そしてあそこの所を本当に分って行かなければいけない所でしたと、云う所を頂いて帰られて、篠原さんあんたが知っとるそこば、おかげを頂いただけでも、今日の総会の意義があったねと、わたしゃ言うた位ですけれどもね。
そう云う様な、私共そう云う様な中にもそういうおかげを頂かせて貰うてです。言わば、信心の楽しみというか。信心の喜びを味わせて頂きながら、今日の国雄さんが頂いております様に、本当のおかげを頂く為に、お互い信心が邁進して行かなければいけません。無邪気な事を願うて、願いが二つ、三つと重ねてから外れて行きますと、もう神様の力がなかごと思うてからぐらりする。
そう云う事じゃない。国雄さん、本当のおかげを頂く為には、上から下に水が流れる様な訳にはいかんばいち。そこんところを一つおかげを頂かせて貰まして、今御理解を読まして頂きました。それの様に。その辛抱して行く内に、身に徳が受けられると仰る。そういう本当のおかげを目指しておかげを頂いて、そして神様が下さろうとするおかげこそが、夢にも思わん様なおかげと云う事にまで、なって来るんで御座いますから。本気で宮崎さんが言うておられます様に、秋永先生の話を頂きながら今、そこんところを話したんですね。そこんところを、今日はいよいよ分らして頂かにやいけん。
それじゃから言うております様に、総会、大祭をひと月前にしての、この総会がそういう意味で一人一人がおかげを頂いております。どうぞ、その意義のある所と同時に、大祭を目指しての信心が銘々の上にも、なされていかにやいけんません。しかもそれはです本当に辛抱こそ、身に徳を受ける修業と云う様な気持ちでです。どの様な場合でも、それこそ上から下に水を流すのじゃない。私の場合は、本当のおかげを頂く為の、本当のおかげを神様が下さろうとする為のそれであると分らせて貰うて、信心を進めて行かなくてはならんと思うんですね。
どうぞ。